2016年5月3日、河北省の省都・石家荘から邯鄲を経て磁県という場所にある蘭陵王墓へ行ってきた。今回の記事はその蘭陵王墓への行き方と現在の様子を紹介する。
蘭陵王墓への行き方
私は石家荘で宿をとっていたので、石家荘から出発し邯鄲をとおり磁県へと向かった。行き方は次のとおりだ。
1. 【高速鉄道】石家荘駅→邯鄲東駅
まずは路線バスにて石家荘市内から石家荘駅へ、そこで高速鉄道の当日券を買って邯鄲東駅へ向かった。切符代は80.5元。

石家荘駅を9:45に出発、邯鄲東駅へ着いたのは10:20頃だ。石家荘→邯鄲東の移動は1時間もかからない。この日は快晴で青空が目に染みた。
2. 【タクシー】邯鄲東駅→邯鄲バスターミナル
邯鄲東駅とバスターミナルのある邯鄲火車駅はけっこう離れている。地図アプリで検索してみると路線バスは1時間以上かかるらしい。よってここはタクシーを選んだ。駅の出口すぐには白タクのドライバーが客引きしているけども、どこの駅でも探せばだいたい正規タクシーの発着所が見つかる。ここでも正規タクシーの発着所を見つけてそこからタクシーへ乗車した。バスターミナルは邯鄲火車駅の近くにあるので、とりあえず「到火车站 Dào huǒchē zhàn(火車駅まで)」と告げた。
ここで乗ったタクシーの運転手がおもしろい人で、乗車中は終始会話することとなった。普通話ではあったが訛りがきつく、多少聞き取りにくかったが、それでもなんとか会話は通じた。こんな感じの会話をした。
運転手:你从哪里来的?(あんた、どっから来たんだい?)
私:我是从海外来的(海外から来たんだよ)
運転手:啊?你是外国人吗?(あ”?外国人か?)
私:是啊,我是外国人(そうだよ、外国人だ)
運転手:你是不是华侨啊?(ひょっとして華僑かい?)
私:不是,是日本人(いや、そうじゃない、日本人だ)
最近はただ「日本人だ」と答えてもおもしろくないので、少し遠回しな言い方をするようになった(笑)。
会話の中で「バスに乗って磁県へ行くんだ」ということを伝えていたので、火車駅ではなく100mほど離れたバスターミナルの前で止まってくれた。乗車時間30分、21元と妥当な金額だ。
3. 【バス】邯鄲バスターミナル→劉荘村
バスターミナルは珍しく汽车站でも客运站でもなく北候车室(北待合室)という名前だった。これはタクシーの運転手に言われてなかったらわからなかったかもしれない。

ここからの移動は地図アプリ任せになる。地図アプリで検索すると902路のバスに乗って滏阳营 Fǔyángyíngで降りると出るので、まずバスターミナルで902路のバスを探してみた。しかし路線バスらしきバスは止まっておらず、全て長距離バス形式のようだった。よって、切符売場(中国語:售票处 Shòupiào chù)のカウンターでとりあえず滏阳营の出ているスマホ画面を見せてみた。すると切符売りの人が「九块(9元)」というので、9元払ったら滏阳营行きの切符をくれた。
なお、これは後で間違いだったことに気づく。実は滏阳营ではなくて隣村にあたる劉荘村(中国語:刘庄村 Liúzhuāng cūn)と言った方がピンポイントだったのだ。そうとは知らず滏阳营を目指すことになった。

どうやら乗り方は路線バスのそれではなく、長距離バスと同じ扱いらしい。13番改札口(中国語:检票口13)から出発するらしいので13番改札口のゲートが開くのを待った。

ところが、待てど暮らせど13番改札口はずっと閉まったままだったので、「ははーん、ここは改札が仕事をしないバスターミナルだな」と思い、空いてる改札口からバス乗り場へと向かった。切符を見せて乗るべきバスを教えてもらってバスへ乗り込んだ。

切符をバスの運転手に見せようとすると運転手は「オレじゃない」的な仕草をする。どうやらこのいちばん前の席に座っている私服の女性が車掌らしい。女性に切符を見せると開口一番「在哪里呀?(これどこ?)」というので不安になる。でも運転手は場所を知っているようだったので少し安心。

バスがバスターミナルを出発すると、途中で止まりつつ乗客を新たに乗せながら道を進んでいく。1時間ほどでバスが停車し運転手が「滏阳营 Fǔyángyíng!」と叫ぶので、とりあえずそこで降りた。どうやら国道沿いで、周りには何もない。

そこからは地図アプリの位置情報を頼りに歩く。滏阳营の隣に刘庄村がある。その次には曹庄村の門。どうやら中国で村というのは小さな行政単位らしい。ちょっと歩くとすぐに隣村にたどり着く。とりあえず地図アプリが指し示すとおり曹庄村の門をくぐってみた。

この村の中にあるはずなのだがなかなか蘭陵王墓へたどり着けない。地図アプリの指し示す場所に立ったがそこには民家があるだけだった。中国の農村というと貧乏なイメージを思い浮かべるかもしれないが、実は地域によってかなり富には差がある。ここら辺の農村は自然豊かで家も大きく、わりと裕福なように見えた。

5月の暖かい日差しが降り注ぐ中、しばらく曹庄村をさまよった。北京では見られなかった青空が心地よい。歩きながら改めてネットを検索してみると、「蘭陵王墓は刘庄村にあり」という情報をキャッチ。先ほど通り過ぎた刘庄村を再度目指す。刘庄村の入口あたりでやっと蘭陵王墓へたどり着いた。国道沿いでバスから降りて1時間後くらいだ。
※補足:もしバスを刘庄村で降りてすぐに蘭陵王墓へ向かっていたら、徒歩3~5分で着いたはずの距離だった。最短距離で行きたければ邯鄲からのバスを刘庄村で降りよう。

国道沿いで刘庄村で降りた場合、このY字路になっている刘庄村入口へ入り、トンネルで線路の下を抜ける。

線路を抜けて左側に見える壁が蘭陵王墓だ。

少し歩いてこの刘庄村の大きな看板に来たら左手に蘭陵王墓への入口が見えてくるはずだ。

なお、蘭陵王墓と検索するとGoogle Map も百度地图もことごとく間違った場所を示すので注意しよう。北朝黄陵文化宫という場所が国道の向かいにあって、ここは地図どおりの位置だ。地図アプリを使う場合はこれを目印にするとよいだろう。(北朝黄陵文化宫じたいは観光施設にしようとして失敗したような廃墟で、現在は残念ながらゴミがたまっているだけのところだ)
蘭陵王墓の現在の様子
蘭陵王墓の簡易的なマップを作成したのでご覧いただきたい。

入口はこのようになっている。

ネットの情報では入場料がいるようなことが書かれていたが、私が行った時は誰もおらず、素通りで入れた。

正式名称は磁县北朝墓群という。

入口横のチケット売場跡。以前はちゃんとチケットを販売していたようだが現在は閉鎖されている。

入口から入って中を進むと左手に蘭陵王の像が見えてくる。右手には石造りの小屋が建っていて、中に石碑が安置されている。

石碑の文字ははっきりとは見えなかった。なお、石碑の全文は神奈川県にある宝善院という寺院さんのHPで紹介されているので、興味がある方はそちらをご覧いただきたい。
↑こちらのホームページには、この蘭陵王墓の石碑の全文だけでなく、1992年に日本から雅楽団が訪問した様子が解説されている。奈良大学の笠置侃一教授(当時)が南都楽所と奈良大学の雅楽団を率いてこの蘭陵王墓前で陵王の舞を舞ったそうである。中国では陵王の舞は舞われることなく伝承が途絶えてしまったのだが、日本では長らくの間、雅楽の曲として舞われてきたのだ。

そんな20年ほど昔の日中文化交流の歴史に思いをはせながら蘭陵王像を仰ぎ見た。像の後ろには円形の墳墓が鎮座している。

この像がもつ仮面は日本に伝わる陵王の面の造形を参考にしたとのことである。
現在の蘭陵王墓には常駐者がいて管理されているわけではないが、木々が植えられていたり、盗掘対策の監視カメラが何台もあったり、保護はされているようである。ただ、トイレはお世辞にも綺麗とは言えないただの穴だし、壮大な建物があるわけでもないので、万人におすすめできるような史跡とは言いがたい。このへんはお好きな方ならぜひ!といったところか。なお、私は貴重な史跡を訪ねることができて大満足だった(笑)。
蘭陵王墓関連用語
それでは蘭陵王墓に関連する中国語を見ておこう。
以上、蘭陵王墓へ行ってきた話でした!